内臓を取り出す時、羽毛が少し汚れた。空虚な目の鳥の、空っぽのお腹に無遠慮に指を入れ、湿っぽい内壁に爪を立てた。 内側を少しだけ傷つけて、もうここからは何も生まれてこないのかと思うと、乾いた喉の奥に張り付いた言葉が自然と湧いた。 死滅し再生する愛しき生き物の器。保存しても綻んでいく姿は、ひどく脆く曖昧であるのにも関わらず、生きて朽ちていくことの輝きがどこか残っている。鳥は嘴を閉ざしたまま、まだ生きていた頃の名残が、その舌に染み付いているのだろうか。 そもそも、この鳥は死んでいるのだろうか。漠然と思う。荒廃していく羽毛は、こうして剥製にされようとも、保たれることなく滅んでゆくのだろうに。それの、どこが死なのか。再生の化身である自分には、わからないことだった。 感覚的には、わかるのだけれど。鳥の腹から手を出し、以前貫かれた肩を撫でる。ここを刺すあの刃は、ひどく美しかった。そして同時に脆く曖昧であった。 鳥の目は動くことなくこちらを見ていた。腹の内壁は傷つけられて、またはじまりへと進んでいくのだ。



「本当に若返るんだね」
「うそだと思ってたの?」
「いや。なんかこういうのって若返るっていうのかな、って思ったら楽しくなっちゃってさ」
「老いだよね」
「ね」
「君らは私の死ぬ時の姿で生まれてくるからなかなか楽しいよ」
「お前の母は墓場かよ」
「棺に宿る胎児かい?なかなかロマンチックだね」
「死産じゃねーか」



太陽に於ける黒点のような、
きれいな布地についた、一滴の染みのようだと思う。無地の紙に付着したインクのようだとも思う。所詮そんな、やってしまったな、という程度のものだと思う。そうだといいと思っていたのに、そこまでですらないのだろうとも、思う。 例えば大地に於ける蟻の巣というのが、人に於ける細胞の類いだとして、そこにどんな希望や真理があるというのだろうか。自身の死で星は死にはしないが変化しているのだ、だなんて、蟻の願望に過ぎない。髪が一本抜け落ちたところで人が気にせず生活を営めることの証明な気がする。 貴方にとってはそんなものだろうとろくに目も向けず眩しい太陽に呟く。夜空のような世界がこの星の向こうに広がっているのなら、きっとこの星も、輝く太陽も、真っ暗な世界に浮かぶ細胞のひとつだ。 ただその世界そのものを自身の身の内にそれぞれ宿しているのだと、蟻たちが気づいたその時に、世界が分岐して増殖していく、それだけのことで。自身の身に宿す世界の欠片が溢れるのは、斬られた後であろうが。 染みのついた布地を洗い、城の庭にて干す。本当にいい天気である。



呼吸は目に見えないなんてほざいた馬鹿はみんなくずだ。人は潜り溺れ、気泡を見て生を実感するのを厭がり、海から陸へと住処を変えたなど。唾を吐きかけたいくらい気色悪い。そもそも人の形を為したものが海に住んでいたわけではあるまい。学などないから詳しくはないが、きっとスライムみたいに不定形の、なんだかぐちゃぐちゃした、よくわからないものたちがいのちの元素なのだろう。少なくとも自分はそうだと思っている。 目の前で湖に潜り馬鹿みたいに笑っている金髪は、目に見えない、呼吸という行為がきらいだという。自分にいわせれば、そんないわゆる生きる上で「当たり前」に当たる物事(人は、食べ、寝て、繁殖する、ということもこれに含まれると思う)に疑問を抱き、自身の杓子定規ではかり、すききらいそうでもない保留、という決定を下す奴等の思考は理解不能だったし、自分のそうした定規を疑う、などという高度極まりない思考に陥ることもなかった。なぜなら、簡潔にいえば、自分には他人の呼吸が見えるからだ。 普段より高めの位置で結ってある金糸が水に濡れてうなじにぴたりと張りついているのを見ながら、こいつもくずだ、と思った。お前は入らねぇの?と訊いてくるや否や、バシャッっと音をたて水面に消えた。ぶくぶくと少し泡立つ水面に向かって入らねぇよと答える。唾を吐いた。 しばらくして静かに浮かんできた顔は白く、なんだか昔画集で見たシチュエーションのよくわからない女の絵を思い出した。暗い水面に浮かんでいる髪の長い女の絵だ。 なんだよ入ろうぜ、俺はこんなに息して生きてたのか、死にたいって思えるぜ、と自殺願望を共有させてくる男に手近な石を投げつける。当たらず横に沈んでいく。男があーあというように両手をあげた。くず。 男の吐く息が金色に輝いて大気に溶けていく。見えたとしても同じだ。結局生きているのだから。



「あ、」 呼ばれた。そう思ったから上半身を起こして立ち上がりながら髪を結った。ぼさぼさの金髪は指の間で絡まって少し適当な具合で束ねられた。いかなければ。 テントを出ると視界に赤い何かが見えたけれど、それよりはやくいかなければ。深い色に沈む夜で星が瞬く。また呼ばれた。 いまいくよ、と駆け出そうとしたところを後ろから何かに止められた。羽交い締めるように胴に回されている白い腕が、絡み付いて放さない。呼ばれているのに。背中からくぐもった声が聞こえる。いかないで、と泣き入るようなそれより、自分を呼ぶ夜の声が強く頭に響いていた。回された腕がぎゅう、と力を込めた。檻のようだと思った。ああ、それよりいかなければ。



燃え尽きるまでは愛させてくれ、
白い薔薇を贈った。花束なんていいのに、でもありがと、嬉しい、とはにかむ君が、テミには何をあげたの、と訊いてくる。あげてないよ、と本当のことを告げてもいいのに、君がその返事を欲していないのを知っているから、微笑んで誤魔化した。赤い髪の毛が揺れて、いい香りね、と優しく呟く。居場所がない俺の代わりに、君の胸に抱えられた白い花弁たちは、瑞々しくも繊細だ。 それ、燃やしてよ、というと君は驚いたようにその深緑の瞳を見開いた。薔薇の葉のように、艶やかに光っているその眼を伏せて、そんなことさせるくらいならくれなくてもいいのに、と苦々し気に笑う。 次の瞬間、ぼっと音をたてて一輪に小さな炎が灯る。乾いた空気によってか燃え広がっていく、赤い炎。不定形な姿でも確かに存在する柔らかい赤によって、色づき燃え始めた花束。手放したくないのか、君は火傷を覚悟しているようで、まだその胸に抱えている。燃えていく白を惜しんで瞳は悲しそうに震えている。それなのに眼を離しはしない。 髪の焦げる臭いが微かにした。君は眼を閉じる。握り締めていた指が開きかけたその時に、静かに、深く口づけた。花束は赤い炎に包まれたまま、地へ落ちた。二人の合間、足元で音もなく燃えている。居場所はそこで妥当だった。黒く色を変えるまでは、せめて、呼吸を分かち合えますように。話せない口元の代わりに、俺は心の中で愛を紡いだ。



君を引き裂く爪
黒髪に指をかけようとして止められた。不機嫌な顔をしてこちらを見る貴女にキスを贈るとますます渋い顔になった。月明かりに照らされた輪郭は弛く曲線を描いている。肌は健康的な色味で柔らかそうだ。口に含んで食めばきっと甘い。山の向こうから獣の声がしたと貴女はいう。耳聡い獣は貴女だと思いながら手を握りしめようとしたらまた止められた。今度は心配そうな顔つき。あなたこれが見えないのと訊ねてくる声はきっとその手に嵌められたままの獣の爪を模した武器についてだろう。見えると返すと悲しそうな眼でこちらを見てきた。構わず武器ごと手を握ると手の甲に突き刺さる。痛くないのと再度訊ねてくる貴女に痛いと笑うと貴女の方が痛そうに身を捩った。手を繋ぐと素粒子単位で交われるらしい。俺の血で固めたら貴女の欠片は俺の中だ。貴女の中に俺もいる。獣が啼いた。やはり甘かった。



パリン、と甲高い音を立てて、繊細にも崩れ去っていく相手(もしかしたら自分)を見た。最後まで、同じ目をしていた。 「また会おうな」 泉はこんこんと湧き続ける。澄んだ水は溜まると塊のようになり、この地の名前はいい得て妙だなと思う。 「俺が死ねないのはここのせいなのかな」 ぼそりと呟くと、隣にいた赤い少女は苦々しげにこちらを見て、残念?と聞いてきた。残念ではないが(死にたいわけではないのだ、多分)彼らの命は自分の複写なのかと思うと、ひどく申し訳なく感じた。首を振ると、魔法使いは目を伏せた。 自分たちの複写がここに存在するならば、彼の王の命の複写はどこにあるのだろうか。 考えたところで答えはないのだ。踵を返し、仲間の元へ戻った。翻したマントが水を含んでいて、いつもより重かった。


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