私はね、お前の何かになりたかったんだ。何かって、中身だよ、内臓や繊維や体液だよ、お前の。お前の生きる上で欠かせない何かになりたかったんだ。たとえば、そうだね、胃なんて素敵だ。お前の生命維持に必要不可欠な食べものを、お前の体内に配るために、私がどろどろに溶かしてやるのさ。何もそんなに笑うことはないだろうに、ふふ。なんだい、え、いやだよ、心臓にだけはなりたくないな。可笑しくないか、あんなどくどく五月蝿いものだけは御免だな。あぁ、たしかに、お前にとって大切な器官だろうね。その点ではすばらしいが、しかしね、お前の心臓になってしまったら、それはとても不幸だよ。ふふ、そんな顔をするなよ。お前の心臓として生きるのは、それはさ、お前の死を司るわけだよ。心中?いやだよ、死は、そりゃあいやなものなんだよ。いやもなにもないなんて、ただ必ず訪れるものだ、なんていう人間たちもいるそうだね。それは強がりだよ。弱いままでいいのに、なぜ死をいやがるのは醜いことなんだろうね?悲しむのは美徳にするくせにさ。あぁ、脱線した、ふふ。そもそも、一緒に生きたいわけじゃあないんだ。お前を生かすものになりたいのさ。ん?あぁ、そうだなぁ、血はいいね、お前の身体中を行き交えて、すごくいいね。人の身体の内ってね、狭くて、深くて。ふふ、そうそう、いい喩えだね。うん、まるで闇みたいだよ。お前の血になって、お前の闇を廻って、心臓に注ぎ込むわけだ。すばらしいね。あはっ、そうか、わからないかぁ、あはは。

心臓は血を送る器官でしかない


大丈夫、まだ眠くないよ、あと五分は保つよ。永遠みたいな五分だ。ああ、見えているよ、とてもきれいだ。え?何、冗談でも世辞でもないよ、きれいだ。うん、見えているよ、何でそんなに疑う?ああ、そんな噂もあったな。大丈夫、お前は人にも認識できる形を持っているよ、見えているよ。俺が確かに人だとしたら、見えるってことさ。本人だもの、信じろよ、もう別の存在だけど。大変だよな。見えづらい存在で不便だったろ。苦労をかけたな、ありがとう。は?醜い?とんでもない、俺はいまだかつてお前ほど美しいものを見たことなんてないよ。もの、うん、お前はものだよ。個だ。集積なんて、そんなわけないよ、そんな不純物なんかじゃないさ。お前はお前として俺を支えていたとも。形なんて、触れてみるまで確かめられないさ。触れたところで何も感じなくても、舐めて味がしたら?あるよ、あると感じていたら、本当にあったんだもんなあ。最期に逢えて嬉しいよ。ん?ああ、感じなかったらそれはそこにないことになるのだろうなあ。でもお前はあるよ、見えているよ。お前は、きれいだ。何だよ、そんな泣きそうになるなよ、溢れてるじゃないか。嬉しい?そう、よかった、しあわせなお前はよりきれいだ。もっと見ていたいけれど、そろそろかな。次はお前の香りを感じられる世界で逢いたいなぁ。お前が、俺の中身ではない世界で。

瞳はおまえを感じる用途の一つでしかない


黒いだけで星もない空に、一筋の光が差した。それに、先程手に入れた王冠を翳す。漆黒の髪の上にあったそれは金色に輝くと天からの光を反射した。闇は暴かれたかのように霧散していく。明かりに驚き逃げる無数のゴキブリのようだ、と最低な喩えを心中で呟く。虫と違い音もなく失せた闇の霧の向こうに、地図にない伝承の地へと続く道なき道が姿を現す。この道も踏み締めてゆけばただの大地の一部に過ぎない。星の表面を撫でて這い回る自分たちはきっと、光差す空からはゴキブリより小賢しいのだろう。手にした王冠を自身の頂に乗せて仲間に笑えば、彼らは歓声をあげた。自分たちの勝利をひたすら素直に受け止めている彼らは、先程響いた言葉の意味を忘れつかの間の終焉に酔っている。
自分はどうだ、と王冠を手に戻して問いかけるが、そこに喜びと呼べる感情は微塵もなかった。手にした王冠より、微かに残った剣の反動の方が重く感じる。軽い金のそれを宙に放ると、切り裂かれた群青に映えた。世界を占める割合は、金の王冠より空を覆う群青の方が大きいのだと、ぼんやり思った。拓けた道も群青に溶けている。そこでようやく、少しだけ喜んだ。またきっと王冠を被ったきみに逢えるような気がした。また巡ってきみにたどり着くことだろうに、俺は今ここで、喜ぶ人の中にいるのだ。

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