マゼンダは結っていた髪をほどいた。さら、と頬を掠めて肩から流れる、日中はオレンジがかって見える赤毛は、星明かりと一本の蝋燭の下では色を認識するのが難しい。人の目には、闇に溶けて染まったように見えるのだろう。マゼンダは少し笑う。これから行く場所は、仲間にも秘密だ。
冬を向かえようとする季節の合間。空気はひやりと冷たく、上着を羽織らず外へ出たことを後悔した。歩くとふわりと風に吹かれる髪の纏う温度が、徐々に外気と同化していく。同行者と共に森に張ったテントから、少し離れた丘を目指して、淡々と進む。

森を出た先、少し拓けたそこに、丘はあった。落ちたら怪我では済まないというように、眼下には流れの早い河がある。ごうごうと流れる水量は、最近降った大雨を運んだおかげか、元々か。付近から絶え間なく聞こえる落下する水音が、昼間沿って辿ってきた小川のものであるのに気付き、マゼンダはまた笑った。あの澄んだ穏やかな水も、行く末は堕落。速度を増し、濁流となり、どこまで流れるのか。

すぅ、と目を細める。丘の彼方、暗い夜の景色の中で、塗り潰したように黒い城がそびえ立つ。遠くシルエットになって見えるそれは、夜景を切り取ったようにぽっかりと抜けていて、マゼンダは少しだけ顔を歪めた。周囲の薄闇が明るく見えるほど際立って黒いくせに、コントラストは曖昧で、ぼんやりした影は時々蠢いて見える。錯覚だ。手にした燭台で揺れた炎が、微かに吹いた風で消えた。
すると仄かに照らされていた自身の周りもふっと闇に溶け、夜に包まれた。マゼンダは森の奥へ目を向けて、落ちてきた前髪を掻き上げた。

木々のストライプを縫って、ぼぅっと灯った明かりが浮かんでいる。蛍のように飛び、こちらに向かって来るのは、虫よりも大きな、炎の群れ。
何回か見たことがあったが、つくづく、美しいな、とマゼンダは思う。ほぅ、と息を吐くと、少しだけ白く色を持って、夜に消えた。仮にもモンスターであるのだから、呼吸を忘れて気を緩める瞬間などない。けれど、生きている内に見られる情景とは思えないほどに、この光景はただ美しいのだ。あと何回、この生の中で、この丘に来れるだろう。何か変化がない限り、なかなか通らない道だ。今回はたまたま運が良かった。

火山から生まれた沢山のウィスプが、この丘から周辺へと移動するのだと、いつか本で知った。寒い冬を前に野火となって現れる魔物は、暖かい火口で棲息せず、散り散りになって森や生き物を焼く。そうして増殖していくらしい。闇の精が生むともいわれているが、マゼンダはその通説より本の話を好んだ。闇が明かりを生むというのだろうか。鼻で笑いたい気分だった。

秋の大雨で湿った森をゆらゆらと漂うウィスプたちは、本来ならば木々を焼きながら移動するが、夜露に濡れた葉にあえて触れていくよりは、先へ進みたがっているようだ。右往左往しながらもマゼンダのいる丘へ来る。
マゼンダは屈んで、スカートを汚していいものか少しだけ考えてから、まぁいいか、と地面に座った。ひやりとした丘に寝そべると、森から少しずつ明かりが漏れてきた。

すぅ。
視界に、ひとつの炎が映り込む。
数えられる炎は大気を燃やして、寝そべるマゼンダに気付かずに丘から離れていく。
続くようにいくつかのウィスプたちが散っていく。揺れる、確かな赤。煌めくような黄色。日に曝されずともその色を失うことなどない、綺麗なオレンジ色の生き物たちを見つめた。マゼンダはごろんと寝返ってうつ伏せになる。丘の方へ頭を向けて、放たれたかのように夜景に灯る炎を眺めた。

神様が息を吹きかけて灯した命ある火が、浮かんで、世界に移る。ロマンチックな想像が自然と沸き起こる光景だ。マゼンダは自分の頭上を横切り、丘を越えて彼方へ向かう、愛しい炎たちを見送った。手を降ってみたいけれど、あまり空気を振動させると危険でもある。彼らは熱を持ち動くものに反応する傾向がある。息を飲む。皆、この闇に色づくことを赦されたかのように、煌々と輝いている。美しいな、肘をつきながら、灯籠のように緩やかに消えるウィスプの群れを見る。マゼンダの深緑の瞳に、点々と彩が入り込む。

次々と絶え間なくやってくる炎は、音もなく消えていくだけで、城のシルエットに重なって光る。幻想を、形作る火。星明かりがくすんでいる。寝そべるマゼンダにはごうごうと音のする方は見れない。けれど、流れる河の表面を彩る鮮やかな魔物を想像することはできた。流れに差し込む炎は、そのまま浮遊してどこかへと飛ぶのだろう。そうしてこの世界を生きていく。

脇に置いていた蝋燭に、いつの間にか炎が灯っていた。ウィスプが掠めたのか、少女の腰に携えられた書物によるものなのか、森は知らないで、ただ炎を吐く。
マゼンダはしばらくその光景を見つめていた。明日から自分は、あの火を消していく。だからせめて、今だけは、と。

世界は美しい、と、を灯す。

inserted by FC2 system